地震について。

greenhouse2005-04-07

久しぶりの日記更新です。

さて最近色々なことがありました。特に福岡地方での大きな出来事といえば、やはり地震ですね。

その日は休日で前日夜更かしのため、なかなか目が覚めませんでした。そろそろ起きるかと暖かい寝床の中でぼんやりと考えていたそのとき、それは起こったのです。
最初は、あ、地震だと思った程度でした。しかし揺れは徐々に激しい様相を見せ始めました。東京にいたときもこんな揺れは経験したことはありません。まるで巨人に体を掴まれ、大きく揺さぶられているようでした。

これは大惨事になるかもしれないと、咄嗟に思い、家族の元へと駆け寄りました。恐怖に慄いている家族に覆いかぶさり、成り行きを見守ることしかできませんでした。

幸いにして地震は30秒程度で収まり、私の家ではグラスが数個割れ、本棚から本が吐き出されただけで済みました。

それから何度も何度も余震が起こり、そのたびに、恐怖が蘇り、体が強ばるのを感じます。

未だに余震は起こっています。地震なんて自分には関係ないと思っていた人が福岡には多かったようです。

自然の猛威に人間は対抗する術を持っていません。せいぜい予兆を観測し、警報を出すことくらいしかできません。

どこか対岸の火事だと思っていた自然の驚異をまざまざと見せ付けられ、不幸にも災害で被害にあった人の気持ちを始めて、ほんの僅かですが分かったような気がします。

健康診断。

greenhouse2005-03-14

朝から会社の健康診断に行ってきました。場所は福岡の笹丘というところで、私には馴染みのない場所です。調べてみると自宅からバスを乗り継いで20分くらいのところにあることがわかりました。

受付は10時半からです。いつもと同じ時間に起き、尿と便(失礼)を採取し、朝飯を食おうと思った途端、飲食禁止であることを思い出しました。私は朝食は必ず食べます。そうでないと調子が出ず、頭がボーっとしてしまうのです。子供のときから朝飯は欠かしたことがありません。だからでしょうか、朝飯を抜いて学校や会社に行く人間が信じられないのです。

それはともかく、朝飯を食べる時間がなくなったので、時間が余ってしまいました。家にいても落ちつかないだけなので、少々早いですが、家を出ることにしたのです。

六本松というバス停で乗り換えです。バスを待っていると、目当てのバスが来ました。するとそのバスの後方の窓から私に手を振っている女性がいます。同じ会社の女性社員でした。偶然ですね。

私はこの会社に入ってから健康診断は初めてだったので、当然その病院は初めてです。その外観を見たとき、やや驚きました。病院じゃありませんね。そういえば、「人間ドックセンター」とパンフレットにあったのを思い出しました。検査専門の施設なのですね。中はホテルのロビーみたいでした。

受付を済ませると、着替えてくれと言われました。白いバスローブに着替えてくれと言うのです。今までの健康診断は、大勢の社員が並んでベルトコンベアーのように次から次へと検査を受けていくものであり、その際着替えることはなく、必要があれば、その場でワイシャツやスラックスを脱ぐというものでしたから、面倒だなというのが本音でした。

とりあえず着替えを済まし、言われるとおりに待合室に行くと、男性も女性もバスローブを着て、椅子に座っています。この光景はやや怪しいものでした。バスローブ姿で男女が同じ空間にいるのです。これが味気ない病院服のようなものだったならば、そう感じることもなかったでしょうけど、風呂上りに羽織るバスローブそっくりなのですから。

周りの人たちは、年配でしたから、あまり羞恥の念にかられることはなかったようですが、若い女性などはどうでしょう? こんなこと考えていたのは私だけかもしれませんけど。

しばらく私と女性社員は並んで腰掛け、呼ばれるのを待っていました。その間私は空腹で検査が終わった後何を食べようかということで頭がいっぱいでした。

検査は順調に進んでいきます。どのセクションでも対応は柔らかで、これこそサービス業だなと思いました。

さて検査も大詰め、最後はエックス線検査です。これは嫌ですね。まず胃の動きを抑えるため肩に注射をうたれます。まあこれは大した痛みはありません。次に胃を拡張させるための薬を飲まされます。これを飲むとゲップをしたくてたまらなくなるのです。次から次へと襲ってくるゲップ排出の反射作用に必死に耐えねばなりません。その上あの不味いバリウムをコップ半分以上も飲まねばならないのです。さらにX線検査装置に載せられ、体は右左、上下と転げまわされ、惨めな気分になりますし、その最中もゲップの勢いは止まりそうもありません。最後の検査が一番苦痛でしたね。

検査が終わって6時間くらい経ってますけど、まだ腹の調子がおかしいです。検査後に飲んだ下剤のせいでしょうか。これで健康体だったらいいのですけどね。

別れの春。

greenhouse2005-03-04

春は別れの季節です。春というより3月がですね。これまで一体どれくらいの人と別れを経験したでしょう。一度会ったきりで二度と会わない人もいる。毎日のように会っていたのにある日を境に会わなくなった人もいる。別れてもいつまでも記憶に残る人もいれば、あっさりと消え去る人もいます。

学生時代にあんなに仲の良かった友人、このままずっと一緒にいるのだと信じていた恋人、あの人たちは一体何だったのか。その一瞬における人間の滋養だったのでしょうか。

人は変わります。精神的にも肉体的にも。周りを取り巻く環境も変わります。時間というものは、流れ去り、消え去っていくものです。そして新しい時間がやってくる。忘却の果てには新しい生活が待っています。別れのとき、あんなに涙した人も翌日には、悲しみを半分は失っている。死が永遠の別れだとしたら、永遠の別れもまた、その人にとっては死と同じことなのでしょうか。

人が死ぬと、その人とは二度と会えません。その顔、その声、その笑顔は二度と見ることはできません。心の中で映像のように再生して、目の前の無を嘆き悲しむことしかできません。

私は基本的には唯物論者ですが、それは霊魂とかを信じないだけであって、精神、意識まで否定はしません。だけど霊魂も精神や意識が作り出したものだとすれば、物質ではないかもしれませんが、存在することになりますね。

3月は別れの季節ですが、4月は出会いの季節です。まだまだ寒いですが、春の訪れはもう目の前です。

目の疲れについて。

greenhouse2005-02-23

最近日記書いてませんね。半年ほど前までは毎日きちんと書いていたのですが、少しサボり癖がついたようです。

日記はいつも夕方に書くのですが、最近この時間になると、頭がぼーとし、目がしょぼしょぼになり、どうにも日記を書こうという気にならないのです。何か身の回りに大事件か、のっぴきならない出来事でも起これば書こうとも思うのでしょうけど、特にないのです。もちろん事件はいつでも起こるものだし、現に起こっています。それについての感想や意見なども考えます。だけどこの時間になると忘れてしまうというか、考えようとする気力が湧いてこないのですね。基本的に体力というか持続力がないのかもしれません。

帰宅し、風呂に入って夕食をとると復活します。元気が出て、頭の中もすっきりです。

仕事で朝から夕方まで、昼食の時間以外はパソコンに向かっていることが原因でしょうね。たまに気が狂いそうになることがあります。かといって会社の中でいきなり叫んだりしたら、とうとう気が触れたかと思われてしまうでしょう。

自宅でもパソコンを立ち上げて、メールチェックや何やらをすることはするのですが、基本的にはつけているだけで、自分の部屋のソファーに寝転び、本でも読んでることが多いです。読書でも目は疲れますが、パソコン使用時の目の疲れとは種類が違いますね。読書による目の疲れは心地よい疲労感とも言うべきものですが、パソコンの場合は、目が眼窩から飛び出そうな感じがし、眼圧があがっているのがわかります。まあそんな時はヒトミスッキリ(当社の商品です)でも飲めばいいんですけど。

目の疲れは、気持ち悪さを誘発します。さてとそろそろ仕事も終わりの時間です。お疲れ様でした。

地下鉄七隈線開通。

greenhouse2005-02-04

昨日会社からの帰りに、開通したばかりの地下鉄七隈線に乗りました。わが社は福岡の天神センタービルというところにあるのですが、最寄の駅は地下鉄空港線天神駅となります。歩いて5分くらいでしょうか。七隈線天神駅とはつながっていません。天神南駅とう名前の駅が始点になります。天神駅から天神南駅まで10分くらいは歩くでしょうか。

普段はバスで通勤しているのですが、実は私の家は七隈線沿線にあるのです。といっても近くはありませんが。それで試しに乗車してみようと思ったのです。

会社を出て、地下街を歩いていきます。普段の倍以上の人が地下道を歩いており、まっすぐに進むのが困難な状況です。今まであった地下街を抜け、新しくできた地下街に突入しました。オープンしたばかりの店が左右に連なっており、客も結構入っています。元の地下街の店も今まで以上の盛況振りを見せており、相乗効果がうまく働いているようです。

歩き疲れた頃、やっと天神南駅につきました。マスコミの取材陣が目に付きます。私は切符を買い、ホームへと降りていきました。人の行列がホームを占拠しています。長蛇の列です。こんなに並んでいるのを私は福岡の地下鉄で見たことがありません。隣のホームに落ちそうになるくらい並んでいるのです。

車両が到着しました。空港線の車両とは明らかに違います。緑色をベースにした、結構カラフルな色です。早速乗車しました。天井が低く、網棚がありません。これは私みたいにカバンを持ち、移動中に本を読む私にとっては不便この上ない。カバンを手に持ちながらの読書は難しい。経費節減による省略化でしょうか。それと座席が1人分ずつに区切られておい、無駄なく人数分座れるようになっています。これはいいと思いました。

10分くらいで私の降りる駅に到着しました。やはりバスより早い。半分くらいの時間ですみました。降りて改札を出ると、通路がずっと延びています。100メートル以上ありそうです。人通りはほとんどなく、ただ地下にある真新しい通路が先を細くしながら、続いているだけです。私は歩きました。遠い。降りてから地上の出口に出るまで5分はかかるでしょう。駅まで家まで10分以上かかりました。ちょっと遠いですね。本数は少なく、時間もいい加減なバスの場合、バス停まで3分ですから。

やはり私はこれからもバス通勤をするでしょう。雪や台風でバスはすぐに運休するので、そういう非常事態には利用するでしょうが。または天神で飲みすぎた場合、終電は0時なので、利用することもでてくるでしょう。

3年前に東京から福岡に移ってきたとき、どうして七隈線はこんな経路を取るんだろうと疑問に思ったものでした。天神を中心として2つの路線を結び、環状線みたいにすればもっと便利なのにと思いました。2つ全く別々に走行しても大した意味などなさそうだし、何と言っても七隈線博多駅福岡空港に行く場合は、天神南駅で降りて、10分以上歩いて天神駅で乗り換えをしないといけないのです。これは不便です。さらに私の両親は室見という地下鉄空港線沿線に住んでいるのですが、私の住んでいるところからは、七隈線が開通したからといって、2つの路線に結合点はないのですから、お互い地下鉄の沿線上に住んでいると言うのに、地下鉄で行き来する便利さを享受できないのです。

不思議ですね。まあ新規格を使っているので、互換性がないということですが、(恐らく工事代が大幅に削減されるのでしょう)不便より便利のほうが、百年の計に立ってみれば自ずと分かることだと思うのですが。

まあ今までバスしか通勤手段がなかった人たちにはそれでも朗報なのでしょうね。道路の渋滞も緩和されるでしょうし。

基本的にはバスを使おうと思いますが、たまにはのんびりと歩いて(普通逆ですけど)地下鉄に乗ることもあるでしょう。

ラーメン屋での出来事。

greenhouse2005-01-31

今日の昼食での出来事です。私はよく行くラーメン屋のカウンターに座っていました。そのラーメン屋はBGMにジャズを流しており、静かな雰囲気なのです。私の左後方のテーブルに座った若い男たちの会話が聞こえてきました。静寂を突き破るその大きな声は、否が応でもその内容が耳に入ってきます。その会話は信じられないものでした。

一人の男が、子供を堕ろした時の話を前にいる男に話しているのです。失敗したとか、後始末が大変だったとか、病院がどうのこうのと恥知らずなことを自慢げに話しているのです。そういう事実があったにしろ、それは心の奥にしまっておくことであって、何も他人に吹聴することではない。またどうしても話さざるを得ない場合があったとしたら、それは密かに小声で話さなければならない。それを色んな人がいるラーメン屋という場所で大声で話すとは、何て恥知らずなんでしょう。

次の話にはもっと驚きました。それはやくざ絡みの話で、女を監禁したとか、拉致したとか、ビデオがどうのこうのという内容でした。この若者たちは馬鹿なんでしょうか。それはすでに犯罪の域に達している内容です。自分たちにまったく関係のない話として、俎上に載せただけならよくある噂話として処理することもできます。しかし彼らはそれが自分の身の回りで起きた、自分と関係のある出来事として話しているのです。私はとろりとした半熟卵を頬張りながら耳を疑いました。店中の人間が麺をすくう箸の動きを止めて、不快な気分になったことでしょう。

雰囲気というものをわきまえない愚か者はいくらでもいます。しかしこの者たちは、おばさん達が場所もわきまえずにペチャクチャおしゃべりしているというレベルとははっきりと異なります。「いいかげんにしろ!」と言いたいところでした。仮にそう言ったとしたら彼らはどういう反応をとったでしょう。「そんなの俺たちの勝手だろ」でしょうか。若者が注意されたときに使う常套文句として「勝手だろ」「誰にも迷惑かけてない」「関係ない」などがあります。そんなのはその彼らの幼い価値観で捻り出した言葉で、真実の欠片もない。人間には社会に属す以上守らねばならないルールというものがあります。それは長い間の人間同士のぶつかり合いから、徐々に学び、生まれたものなのです。彼らの常套文句には、社会との関わりという観点がすっぽりと抜け落ちています。大人はそういうときどうすればいいか。若者の気持ちなんて理解してやる必要はありません。人に迷惑をかけている人間をどうやって理解すると言うのでしょう。若者特有の青春の悩み、自分たちを押さえつけようとする、権力を持った大人たちへの反抗、がんじがらめに縛られている現状への不満、それらをぶつけようとかかってくる若者の気持ちはわかります。今の大人もみんなそうだったでしょうから。しかし言うべきことは言わなければならないし、間違っていることへの注意は必要です。我々大人が若者の気持ちをいちいち理解し、それを許容していたら、国は滅びます。

話は思わぬ方向にずれてしまいましたが、人が社会的存在である以上は社会のルールに従わねばならないということです。なぜならそれが自分のためだからです。それが嫌ならどこかの孤島にでも行けばいい。

風邪を引いて熱っぽいためか支離滅裂気味になってしまいました。ラーメンの味は風邪のためか不快感のためかいまいちよくわかりませんでした。

パソコンの設定。

greenhouse2005-01-26

昨日グリーンハウスの関連会社のパソコンの設定に午後から向かいました。新しいパソコン2台の設定とネットワークの設定です。まあ2、3時間もあれば出来るだろうと思ってました。助手もいましたし。

会社はグリーンハウスから歩いて数分のところにあります。私は初めてその会社に足を踏み入れました。広々とした空間に机が3つほどあります。その日はあいにくの雨でしたが、天気の好い日などは眺めもよさそうで、なかなかの立地です。

さてと、早速始めました。梱包を外し、機器を取り出します。それを設置予定の場所に置いていきます。配線をし、電源を入れ、設定を始めました。順調です。ネットに繋いでOSのアップデートをし、必要なソフトをインストールしていきます。と、もう1台のパソコンがおかしいことが判明しました。ネットに繋がらないのです。しかし私は慌てません。よくあることです。一つ一つ確認していきます。ん?おかしいところは特にありません。配線も問題なし。おかしい。もう一度設定を細かく確認していきます。どうもおかしい。繋がらない。コマンドプロンプト(文字ベースのインターフェースで、コマンド入力を受け付けるときに行頭に表示されている記号。MS-DOSでは、「C:>」などとなっているのが一般的。この場合の「C」はドライブ名で、フロッピーディスクから起動した時には「A:>」や「A:>」となる)でpingTCP/IPネットワークにおいて、IPパケットが通信先まで届いているかどうかや、IP的に到達可能かどうかを調べるために利用させる最も基本的なコマンド。ICMP(Internet Control Message Protocol)のechoコマンドを使って実現されている。pingという名前は、潜水艦の探針音(ある単発音を出してみて、その反射から相手の距離などを測定する)に因んでいる。pingを実行してみて、返答が返ってくれば相手のノードは存在し、(少なくともIP層レベルでの)ネットワークソフトウェアはアクティブになっていることが分かる)を実行すると、返答があります。だけどインターネットができないのです。なんでだろう?色んなことを試しました。こんなの関係ないよなと思われるようなこともやってみました。うーむ。しょうがない、よくわからないから最終手段リカバリーをすることにしました。買ったばかりなのに。というわけで再セットアップです。
駄目でした。順調に動いているパソコンとケーブルを交換してみたり、ハブの配線を入れ替えてみたり、これ以上何やればいいのだ?というくらい色々やってみました。
結論。これはLANカードの初期不良に違いない。だけどpingが通っているということは、そうではない可能性がある。それでももう面倒になって私たちは某大手メーカーのサポートに電話をしました。

「これ初期不良だよ、交換して」
とは言ってもそう簡単には相手も引き下がりません。電話の相手は若い女のようでした。色々と聞いてきますが、こちらはそんなことは既に試しています。そう告げ、交換してくれと言うと、調べて折り返し電話するとのこと。何を調べるのでしょう。まあいいです。待ちます。

20分後折り返しの電話がかかってきました。同じ人です。

またしても色々聞いてきます。うんざりです。挙句の果てにプロバイダーに確認してくれだの、ネットワーク管理者に確認してくれだのと言ってきます。そうじゃなく、こういうことを確認してくれだの(ほとんど確認済みですが)、こういう可能性がありますから、プロバイダーやネットワーク管理者に確認してくれと言うべきでしょう。それを馬鹿の一つ覚えみたいに、確認してくれの連発じゃ、こちらの怒りは増幅するばかりです。
私は電話を叩ききり、もう一度冷静に考えることにしました。だが何も浮かびません。外は暗くなり始めています。時間は5時半を過ぎようかというところです。私の疲労もピークに達しています。もともと風邪気味でしたので、頭はズーんと重く、思考回路がうまく働いていないようです。

もういいや。私はまさかなと思いながらある作業をしました。ん?何かが変わった!おお、ネットに繋がったぞ!私の歓声に、まわりで固唾を飲んで様子を伺っていた人たちも、パソコンの周りに集まり、MSNのホームページの出現を確認すると、同じく歓声をあげていました。

終わった。それからも作業はありましたが、後は簡単なものです。結局6時半くらいまでかかりました。さて私は最後に何をしたのか?今になって考えてみても、最後のあの作業が、なぜうまくいく原因となったのか判明していません。その作業自体にとくに意味はないはずだからです。一応今から調べてみます。とにかく疲れました。