ラーメン屋での出来事。

greenhouse2005-01-31

今日の昼食での出来事です。私はよく行くラーメン屋のカウンターに座っていました。そのラーメン屋はBGMにジャズを流しており、静かな雰囲気なのです。私の左後方のテーブルに座った若い男たちの会話が聞こえてきました。静寂を突き破るその大きな声は、否が応でもその内容が耳に入ってきます。その会話は信じられないものでした。

一人の男が、子供を堕ろした時の話を前にいる男に話しているのです。失敗したとか、後始末が大変だったとか、病院がどうのこうのと恥知らずなことを自慢げに話しているのです。そういう事実があったにしろ、それは心の奥にしまっておくことであって、何も他人に吹聴することではない。またどうしても話さざるを得ない場合があったとしたら、それは密かに小声で話さなければならない。それを色んな人がいるラーメン屋という場所で大声で話すとは、何て恥知らずなんでしょう。

次の話にはもっと驚きました。それはやくざ絡みの話で、女を監禁したとか、拉致したとか、ビデオがどうのこうのという内容でした。この若者たちは馬鹿なんでしょうか。それはすでに犯罪の域に達している内容です。自分たちにまったく関係のない話として、俎上に載せただけならよくある噂話として処理することもできます。しかし彼らはそれが自分の身の回りで起きた、自分と関係のある出来事として話しているのです。私はとろりとした半熟卵を頬張りながら耳を疑いました。店中の人間が麺をすくう箸の動きを止めて、不快な気分になったことでしょう。

雰囲気というものをわきまえない愚か者はいくらでもいます。しかしこの者たちは、おばさん達が場所もわきまえずにペチャクチャおしゃべりしているというレベルとははっきりと異なります。「いいかげんにしろ!」と言いたいところでした。仮にそう言ったとしたら彼らはどういう反応をとったでしょう。「そんなの俺たちの勝手だろ」でしょうか。若者が注意されたときに使う常套文句として「勝手だろ」「誰にも迷惑かけてない」「関係ない」などがあります。そんなのはその彼らの幼い価値観で捻り出した言葉で、真実の欠片もない。人間には社会に属す以上守らねばならないルールというものがあります。それは長い間の人間同士のぶつかり合いから、徐々に学び、生まれたものなのです。彼らの常套文句には、社会との関わりという観点がすっぽりと抜け落ちています。大人はそういうときどうすればいいか。若者の気持ちなんて理解してやる必要はありません。人に迷惑をかけている人間をどうやって理解すると言うのでしょう。若者特有の青春の悩み、自分たちを押さえつけようとする、権力を持った大人たちへの反抗、がんじがらめに縛られている現状への不満、それらをぶつけようとかかってくる若者の気持ちはわかります。今の大人もみんなそうだったでしょうから。しかし言うべきことは言わなければならないし、間違っていることへの注意は必要です。我々大人が若者の気持ちをいちいち理解し、それを許容していたら、国は滅びます。

話は思わぬ方向にずれてしまいましたが、人が社会的存在である以上は社会のルールに従わねばならないということです。なぜならそれが自分のためだからです。それが嫌ならどこかの孤島にでも行けばいい。

風邪を引いて熱っぽいためか支離滅裂気味になってしまいました。ラーメンの味は風邪のためか不快感のためかいまいちよくわかりませんでした。