風邪気味です。

greenhouse2005-01-24

先週の金曜日から風邪気味で、喉が痛く、鼻水が止まらず、咳も出ます。熱はないのですが、頭がどんよりとして結構苦しいです。風邪薬を飲んで、栄養をとって、睡眠をたっぷりととらなければ。そうそう青汁も大量に飲もうと思っています。

今まで私は年に一回は酷い風邪を引き、2、3日寝込むことが多々あったのですが、ここ数年はそこまで酷い風邪を引いたことがありません。もしかしたら青汁効果なのかもしれません。

それはそうと、今年の花粉は大量らしいですね。私は以前ここでも書いたかと思いますが、常人の数千倍、花粉に対するアレルギーがあるのです。まあこの数値は一昨年測ったものですから、今では変わってきているかもしれません。青汁も飲んでいることだし。

花粉症で苦しんでいる人は多いと思います。ゴーグルにマスクという完全装備を余儀なくされる人もいるでしょう。何でたかが花粉にここまでやられなくてはならないのか。現代人の三人に一人はアレルギー性疾患を抱えていると言われているそうですからね。現代の奇病ですね。環境破壊や食生活が原因なのでしょうけど。

ガラスの仮面について

greenhouse2005-01-18

 今から20年ほど前になるでしょうか。当時の私はマンガが好きで、放っておけば1日中マンガばかりを読んでいるという子供でした。あらゆるジャンルのマンガを読みましたね。一番好きだったマンガ家はもちろん手塚治虫でした。子供の頃読んだ「ブラックジャック」「海のトリトン」「火の鳥」などは今でも内容を覚えています。他にはちばてつやの「俺は鉄兵」水島真司の「男どアホウ甲子園」、山上たつひこの「がきデカ」などを読んでいました。小学生の頃は「少年チャンピオン」、中学くらいから「ヤングジャンプ」などの週刊誌を買って読んでいましたね。私の書棚はマンガだらけでした。

私には妹がいたので、少女マンガにまで手を伸ばしていました。「キャンディ・キャンディ」「いらかの波」などなど。他にも読んでいたとは思いますが、忘れてしまいました。

私が妹に借りて読んでいたマンガに「ガラスの仮面」がありました。調べてみると、このマンガは1976年から『花とゆめ』に連載開始された美内すずえ作の少女マンガで、別名、『演劇版スポ根マンガ』だそうです。 平凡だが天才的な演劇の素質をもつ少女・北島マヤが往年の大女優・月影千草に見出され、演劇界の幻の名作『紅天女』を目指すというストーリーですね。マヤが女優として成長していく過程を、確かなストーリー構成と圧倒的なドラマ演出テクニックで描き、読者に熱狂的に支持されました。 1984年にTVアニメ化、1988年には大竹しのぶ主演・坂東玉三郎演出で舞台化され、1997〜98年には、安達祐実主演でテレビドラマ化されたことはご存知の方も多いと思います。「ベルサイユのばら」、「エースを狙え!」、「キャンディ・キャンディ」などと並ぶ70年代少女マンガの代表作だとは思いますが、なんと実はまだ(2005年1月時点)完結していないらしいのです。

あとわずかで30年!先月数年ぶりに42巻が出たそうです。恐らく私は40巻くらいまで読んだとは思いますが、一体何年前だったのか。このスローペースは一体何なのでしょうね。何か事情があるのでしょうか。詳しくは知らないのですけれど。

 長く続いているマンガと言えば、「ゴルゴ13」があります。これは1968年から連載されているそうで、現在135巻だそうです。大学時代に当時発売されているなかでの全巻をそろえた覚えがあります。確か50何巻だったと思いますが。それと忘れてはいけないのが、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」です。これは、1976年から週刊少年ジャンプに連載されています。単行本は現在143巻(以下、続巻 2005年1月現在だそうで、作者は連載開始時は、山止たつひこ(当時大人気のがきデカの作者山上たつひこからとったのでしょうね)だったことを覚えています。すぐに秋本治に改めましたけど。私は「ゴルゴ13」は連載開始からは読んでいませんでしたが、「こち亀」は最初から読んでいました。奇しくも連載開始時は「ガラスの仮面」と同じですね。これも大学時代に全巻そろえた記憶があります(勉強もせずに何やってたんでしょうね)。

ガラスの仮面は今後どうなるのでしょうね。そういえばマンガ以外で未完のものと言えば「青春の門」があります。これは伊吹信介がシベリアに行くという話で終わったと思いますが、その後は書かれていません。五木寛之は最近では仏教関係や生き方の本などを書いてベストセラーを連発していますから、当分は続きは出そうもありませんね。それとちょっとマイナーですが平井和正の「幻魔大戦」も未完です。東丈はどうなったのでしょう。

関係ありませんが、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」も未完と言われています。あれはあれで十分完結しているとは思うのですけどね。

オカルト系番組について。

greenhouse2005-01-11

 昨日夕食を採りながら何気なくテレビを見ていると、超能力を使って犯罪を解決するという内容の番組がありました。超能力者は大抵外国からわざわざ来日して、犯罪現場や資料をひとにらみし、何らかのリアクションをとります。大げさに泣き喚くもの、ノートに何やら書き出すもの、それらをナレーションが大げさに騒ぎ、また司会者なども動揺したりします(何故か高橋秀樹が司会のようなものをやっています。他にもゴチャゴチャと三流タレントがうろうろしています)。

 まあほとんど真剣に見ませんでしたし、今までも見たことはなかったので、少々認識が違うかもしれませんが、要するに今までに起きた未解決事件を外国の超能力者を使って、解決に導こうという趣旨の番組です。オカルト系番組ですね。オカルト現象を全く信用しない私には、すでに腹立たしいのですが、他に見るべき番組もなく、仕方なくくだらない番組を見てしまいました。といっても夕食を採り終わる数十分ですけど。

 大槻教授じゃありませんけど、おかしい点が多々出てきます。まず自分の国の犯罪の解決を目指すべきなのに、どうしてわざわざ遠い日本までやってくるのか。まあこれはギャラがいいという面があるのかもしれない。だけど、本当に超能力で犯罪を解決してきたのなら、自分の国の警察や、犯罪に巻き込まれた人たちからの依頼が殺到し、小さな島国にまで来る余裕はないと思うのですけどね。

 またもっともらしく、超能力者といわれる人たちは、色々なことを言いますが(例えば、白い車が見える、だの、悲しみの霊気が漂っているだの)仮にそういうのがわかるのなら、人間がこの世に存在するようになってから、一体何人もの人が死んだと思っているのでしょうか。その膨大なる死者が仮に霊魂となって存在しているのなら、周りは霊魂だらけで、息もできないでしょう。仮にこの世に未練を残して、または恨みを抱いて死んでしまったものだけが、霊魂になるとしても、やはり膨大な数です。彼らはその中から、依頼された犯罪に関する霊魂やら、何やらを抽出できるのでしょうか。

もちろん死後のことは誰にもわからない。それは彼らにしたってそうです。経験してないのですから。私は死イコール無だと思ってますけどね。

予知能力があるなら、なぜ大災害の発生を予知して、みんなに知らしめないのでしょうね。まあ仮に予知を発表しても誰も信用しないでしょうけど。透視能力があるなら、なぜこの世に今も起きている犯罪を未然に防ごうとしないのでしょう。なぜ未解決事件や迷宮入りになった事件を次々と解決できないのでしょう。彼らは曖昧な表現を持って、その場をしのいでいるだけです。ノストラダムスの大予言と同じですね。どうとでも取れる表現でごまかそうとしる。言ってみれば占いと一緒でもあります。

被害者の関係者は藁をもつかむ気持ちで依頼してきたのかもしれない。私から言わせればその気持ちを弄んでいるとしか見えない。それはテレビ局も同じです。

 これらは様々な問題をはらんでいます。例えば信心を強要する新興宗教は人の不幸に付け込み、壷を交わせたり、お布施と称して大金を巻き上げようとする。賽の河原伝説などもそれに近い。奇跡と言われる不思議な力を見せ付けた宗教家もいる。キリストだってそうです。病人を治したり、安らぎを与えることは、今でいうヒーリング効果だったのでしょう。要するに病人の心を安定させて、人間が自ら持っている自己治療効果を引き出したのでしょう。オウムの麻原の空中浮揚だって、ただ膝を使ってジャンプしただけでしょうし。奇跡など存在しないのです。宗教においては。

 信じるものは救われると言いますが、信じてはいけないものも世の中にはたくさんあります。

 占いだって、予言だって、お御籤だって私は気にしません。自分に都合のいい解釈をして、忘れ去るだけです。

スマトラ沖大地震について。

greenhouse2005-01-07


スマトラ沖大地震の被害は死者17万人とも言われ、酸鼻を極めています。17万人が自然の驚異で死に至ったのです。ときに自然は途轍もない破壊力を駆使し、人間を嘲笑うかのように、大暴れします。人間はそれに対抗し得る力を持っていません。ただ自然の猛威が収まるのを待つのみです。私は無神論者ですが、神を信じている人たちは、どう思っているのでしょう。神なんているわけがなく、それは己の、または人間が生きていくうえでの指針となるべく、人間が造り上げたものでしかありません。都合のいい存在なのです。



愚かな人間に鉄槌を下したとか、世紀末の前触れだとか、現代のノアの箱舟だとか言い出す人たちもきっといるかと思います。そんなわけがない。単なる自然現象でしかない。そこに意思などはない。



自然現象によって殺された人たちは怒りや悲しみを誰にぶつければいいのかがわからない。これが戦争ならその対象をつくりあげることは容易です。だが戦争の死者は17万人どころの騒ぎではありません。人種と思想、そして権力という抽象的な存在がある限り、戦争は無くならないでしょう。



さて、今回の悲惨な災害のニュースをあらゆる媒体から得ていましたが、その中で信じられないニュースを耳にしました。災害の悲惨さ、二次災害の恐れ、死者や怪我人の数、各国の支援金、ボランティアの活躍、など、こういう災害につきもののニュースが大勢を占める中、被災地で子供や女性に対する暴力、レイプなどの事件が起こっているというのです。真実なのかはわかりません。しかしありうる事だと思います。戦争やこういう災害などの異常事態では、人間は今まで被っていた仮面を取り去り、本能のままの獣と化すのでしょう。もっと信じられないことがありました。それは人身売買組織の暗躍です。逃げ場を失くし、住家を失くし、家族をも失った哀れな子供たちやか弱き女性たちをさらって、どこかに売り飛ばすというのです。これは仮面をはぎ、獣と化した人間たちより、もっと性質が悪い。そこには冷静な人間としての利益計算があるからです。ただでさえ悲惨な状態にある人間たちを食い物にする、もはや人間とは言えないでしょう。



この世から戦争や犯罪は決してなくならないでしょう。では我々は何をすればいいか。信じるしかありませんね。人間とは愚かさと素晴らしさを持ち合わせた生物です。確かにそれらはなくなることはない。だけど、地球上に人類が誕生してから、何万年もの間に、確かに人類は進歩してきたと言えます。無法地帯から、集落を作り、決まりごとを作り、国を作り、文明を作り、そして民主主義を作った。



今回だって無償のボランティアや、災害見舞金は要求される前に供与されました。そういう姿を私たちは信じるしかないと思います。



さて明日から3連休です。私たちは休みですが、被災者たちは眠る暇もないのです。

明けましておめでとうございます。

greenhouse2005-01-04

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


まだ正月ボケの頭でこれを書いています。みなさんはどのように正月を迎えられましたか?私はやはり酒びたりの日々でした。まだ胃がおかしいです。昨日はさすがに晩酌の量を減らしました。ワインをグラスで1杯だけ飲んで、やめにしました。

ぼけた頭で昨年からの続きであるパソコンのリカバリをし、自分自身のリハビリをしました。しかしあっという間に正月休みは終わり、再び日常に戻ったという感じですね。1か月くらい休みたいものです。余計にぼけるかもしれませんけど。

さて今年の抱負ですが、皆さんは決めましたか?

私の抱負は去年と基本的には変わっていません。まあ健康が一番であることは言うまでもりませんが、それ以外にも何か自分にとっての目標とでも言うべきものを挙げてみてはいかがでしょう。何もないより指針があったほうが、人は行動するものです。あまりにも高い目標を掲げると、挫折も早いでしょうから、ちょっとの努力で達成できるかもしれないと思う事柄がいいと思います。

とにかく今年もよろしくお願いします。

今年もお世話になりました。

greenhouse2004-12-29

今日はグリーンハウスの仕事納めです。大掃除の日でもあります。不要になった書類などを整理していたら膨大な量になりました。恐らく2度と見ないであろう、使わないであろうものは潔く全部ゴミとして処分したところです。頭の中も大掃除したいのですがね。

自宅の大掃除もしなければなりません。明日一日で何とかするつもりです。そして明後日は大晦日です。子供の頃と違って、日本レコード大賞や紅白などは見ません。ひたすら酒を飲む予定です。新年の瞬間だけ、テレビの行く年来る年に注目し、除夜の鐘を聞きながら、そのときを待ちます。そして新年に切り替わった刹那、「明けましておめでとう」と叫びながら乾杯をします。ああその前に年越しそばを食べますね。年を越す前に食い終わらなければなりません。

といっても今年はどうするのか、まだ決めていません。明日までは自宅にいるつもりですが、大晦日から後の予定は未定です。まあどこかには行くのでしょうけど。

そうそう会社のパソコンを今年は酷使したので、きれいさっぱり大掃除してやろうと、リカバリしました。工場出荷状態に戻すのです。もちろん大事なファイルやデータはバックアップをとり、リカバリが完了したら復元します。それだけではありません。今まで使いやすいようにと設定したものも最初からやり直さないといけないし、インストールしたアプリも入れなおさないといけません。これが大変です。

私は自宅のパソコンに関しては何度かリカバリしたことはあります。なぜそんな面倒なことをするかというと、やはりウインドウズのシステムが不安定になってくるんですね。それで泣く泣く作業に入るのです。下手したら1日かかります。

まだ会社のパソコンリカバリは終わりません。この文章はサブ機のワードで書いてます。今は夕方の5時。どうやら今日中には終わりそうもありません。来年に持越しですね。

とういうわけで、皆様本年は色々とありがとうございました。来年もグリーンハウスをよろしくお願いいたします。

それではよいお年を!

クリスマスイブ。

greenhouse2004-12-24

今日はクリスマスイブですね。

15年くらい前でしょうか。日本中がバブル景気に浮かれていた頃です。クリスマスイブに無駄な情熱を傾け、その日のために狂奔していた人種が当時は大勢いました。夏が終わると、クリスマスイブに向けて、早速予定、計画をたて、渋谷、原宿、赤坂、銀座、六本木あたりのフレンチの予約、シティホテルの予約、豪華なプレゼントの用意、まるで人生の一大イベントがその日であるかのような錯覚を男女ともが覚えていたものでした。

私は当時東京にいましたが、新宿より下(渋谷、原宿、赤坂、銀座、六本木)には寄り付かず、新宿より上(池袋など)で遊んでいましたし、クリスマスに命をかけるというタイプでもなかったので、人々の狂騒を尻目に、決してお洒落とはいえない場所で過ごしていたものです。

今でもあの当時のような、狂らんこそないものの、やはりクリスマスイブというのは、カップルにとって一大イベントなんでしょうね。

子供の頃、終業式が終わり、学校から帰ってくると華やかな飾りつけの中、クリスマスソングのレコードがかかり(まだCDなどありません)、七面鳥(チキンだったかも)やケーキなどのご馳走が用意されていたものでした。いつもと違う雰囲気に子供は単純に舞い上がってしまうものです。

そして翌朝、枕元にプレゼントが置いてあるのです。サンタの姿を一目見てやろうと、眠い目をこすりながら、頑張ったりもしたのですが、無駄な抵抗だったし、何より、サンタが父親だったので、子供が寝てしまったのを確認することはたやすく、一度もサンタ、いや父の姿を見たことはありませんでした。

今でも覚えていることがあります。朝起きて、プレゼントを確認すると、私より弟の包みのほうが大きかったことがありまして、あっちのほうがいい!と駄々をこねたことがありました。「あけてごらん」という親の言うとおり、べそをかきながら開けてみると、今までの泣き顔が、みるみる笑顔へと変わっていきます。小さい包みの中にはおもちゃのトランシーバーが入っていたのです。欲しかったものでした。単純ですね。しかも兄のくせに弟のプレゼントを、ただ大きいというだけで欲しがるなんて、がめつく、弟思いではない、我儘な子供だったみたいですね。

今日は金曜日でもあります。楽しいクリスマスイブをお過ごし下さい。
そうそう一昨日の忘年会は3次会まで行きまして、帰宅したのは深夜3時でした。