今日派忘年会です。

greenhouse2004-12-22

今日はグリーンハウスの忘年会です。このまま本当に年を忘れたいものです。

以前、別の会社にいた頃は営業職だったので、この時期になると、肝臓の心配をするくらい、忘年会への出席を余儀なくされていました。ほぼ毎日でしたね。仕事の一部と思い何とかこなしていましたけど。要するに取引先の忘年会に呼ばれるわけです。まあ基本的には楽しくはありませんよね。まあ私の場合、アルコールが入ると、どうでもよくなるので、苦痛ではありませんでしたけど。

忘年会を辞書で引くと「その年の苦労を忘れるために年末に催す宴会」とあります。果たして今年の苦労を忘れることができるのでしょうかね。まあ大した苦労はしていませんけど。明日は休みですし、大いに飲んで騒ぎたいと思います。

数年前の私は健康診断のたびに肝機能(γGTPとか)の数値の異常で再検査を宣告されていました。まあ飲みすぎでしょうね。今はそんなことはありません。これも青汁のおかげでしょうか。

それと痩せすぎです、と必ず書いてありました。当時は体重が55キロ前後しかなく、スリムなでシャープなボディをしていたのです。高校くらいから体形は変わっていませんでした。今ではプラス10キロくらいあります。今年の春くらいから太り始め、夏にピークになり、そのときは70キロを超えていました。これじゃいかんとダイエットを始め、8キロくらい落としたのですが、そこまで達してからは、なかなか減りません。あと5キロは落としたいのですが。

さてと、今は5時半、忘年会は7時からです。飲みすぎに注意して、今年の苦労を忘れてきます。

年末について。

greenhouse2004-12-20

今日は12月20日。あとわずかで今年も終わりです。今週末はクリスマスイブですね。皆さん予定は入ってますか?

いつの頃からか、私は年末が近づくたびに口にするセリフがあります。それは

「どうも年末という気がしないなあ」

というものです。年末といえば、忙しい、慌しい、大掃除、クリスマス、年賀状、大晦日、冬休み、紅白など色々な言葉がイメージとして沸いてきますが、その一つ一つの行事、イベントにさして興味を持てなくなったというのがその大きな理由かもしれません。

年末?だからどうしたってなもんです。

一年を反省し、新たなる年への抱負を考える。終わりよければすべてよし、ということで、身辺の整理をしようとする。生きるうえにおいての大きな区切りのはずなのですが、どうしてこうなってしまったのでしょう。物事に鈍感になったというのもあります。感動をすることがなくなったというのもあるでしょう。子供の頃はこうじゃなかった。12月に入ると、だんだんソワソワしてくる。もういくつ寝るとお正月という歌があるように、指折り数えてその時を待っていました。クリスマスには七面鳥とケーキが用意されており、翌日朝目覚めると、プレゼントが置いてある。サンタが父親だとわかったのはいつの頃だったか。小学校低学年のころだったでしょうか。それでもプレゼントをもらうことはうれしいものです。

そして、終業式があり、冬休みに入ります。夏休みと違って、短い冬休みは、高揚感はないものの、寒さが子供心にも何か厳粛なものを感じさせていました。年賀状を今と違って、すべて手書きで書き、大掃除を手伝う。これらが終わってやっと大晦日を迎えるのです。夕方から「日本レコード大賞」を見、続いて「紅白」を見る。終わりの頃には睡魔が襲ってくるのですが、年越しの瞬間を味わいたいと、眠い目をこすりながら、「行く年来る年」が始まり、百八つの除夜の鐘がテレビから、遠くの寺から和音となって聞こえてくる。そして力尽きて寝てしまう。中学に入るまではそんな感じでしたね。

今では大晦日はただただ飲んだくれるだけの時間となり、除夜の鐘が鳴るのを聞いて、

「あけましておめでとう」と言って乾杯をし、また飲み始めるといった感じです。まあそれでもいいんですけどね。

忠臣蔵について。

greenhouse2004-12-14

今日は四十七士討ち入りの日、すなわち忠臣蔵の日です。赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の敵討ちを成し遂げたと言われる日ですね。当時の輿論のことなど後世に生きる私には想像もつきませんが、概ね赤穂浪士たちに同情的だったと言われています。日本人の心の奥底に流れている判官びいきがよくわかる例ですね。彼らは主君の仇討ちをし、切腹を仰せつかり、実行したからこそ、今に至るまで美談として引き継がれてきたのでしょう。だけど私は天邪鬼なのか、どうもそうは思わない。まず浅野内匠頭の愚かさに目が行ってしまいます。

彼は一国を司る藩主です。藩のことなど何も考えずに殿中にて吉良上野介に切りかかるという暴挙を犯しました。今で言えば、国会で嘲弄され、激怒し、相手に切りかかった上に議員バッジを剥奪され、刑務所送りになったようなものでしょうか。例えがおかしかったですね。とにかく私は単純に愚かな藩主だったとしか思えない。後先を考えずに行動した結果、藩は取り潰しとなり、赤穂浪士たちは、決起せさるを得なかったというのが真相でしょう。もちろん主君の仇討ちという側面もあったかと思います。二君にまみえずという武士道精神もあったでしょう。

この時期になりますと、テレビでは「忠臣蔵」が必ず放送されます。私も過去に映画を見たことはあると思いますが、乱発されている題材なので、誰が大石内蔵助を演じたのかも忘れていますし、ゴッチャになっています。

四十七士の討ち入りは、今で言えば、テロと同義だと思いませんか。吉良方は14人もの死者を出し、浪士たちは1人の死者も出していない。そして吉良の首を取ったのです。夜中にいきなり家を襲い、吉良上野介だけならともかく、関係ない人の命まで奪っている。
当時の世相はしかし、浪士支持が圧倒的で、そのまま今に至ってます。物事は違う側面から見れば、真実も変わってくるわけです。愚かな藩主とテロリズムに走った浪士たちという見方もできるわけです。

関係ありませんが、私は自分で見たものや、自分で確かめたものしか信じないようにしています。もちろん、見ることが不可能な事柄や、確かめようがないものもあります。基本的には、それらはそうなのかもしれないという認識しかしません。テレビや新聞もときには信用しないこともあります。辞書や辞典に書いてあることもおかしいと思ったら、信じません。(辞書だって結構間違いが多いのです)。

テレビは視聴者に受けようと、恣意的に題材を変えようとするし、新聞だってジャーナリズムを気取っていますが、所詮は商売です。新聞が真実を語る媒体なら、新聞によって記事の内容が異なるなんてことがあるわけないですからね。

こんなこと書いて赤穂浪士ファンに怒られるかもしれませんね。

暖房器具

greenhouse2004-12-13

12月もそろそろ半ばに入ろうかと言うのに、冬の訪れをまったく感じないほどの陽気です。事務所は冷房を入れたいくらいの暖かさで、窓際に席がある私は、汗をかくほどです。今年の夏は猛暑でしたが、今年の冬は暖冬になりそうですね。

だけど私の自宅はとてつもなく寒いのです。今私のマンションではベランダのリニューアル工事を行っており、ベランダ前には足場が組まれ、その外側にはブルーシートが被さっており、完全に太陽の光が遮断されているのです。もともと東側で、日光は午前中しか入らなかったのですが、今では全く入らないし、足場のせいで薄暗い状態です。当然、輻射熱等による、暖気も進入してこず、ただただ冷えていくだけの部屋と化しているのです。
去年の冬は、オイルヒーターを買い、1日中つけてました。クリーンな空気がウリで、じんわりと包み込むような暖かさを発する暖房器具です。すぐには暖まりませんが、エアコンのように乾いた空気を出すこともなく、ファンヒーターのように、空気が汚れることもありません。こりゃいいやと、一か月使い続けていたら、電気代の請求が普段の2倍にもなっており、慌てふためいたのを思い出します。それからというもの、オイルヒーターのスイッチを入れることは、ほとんどなくなりました。

ちなみに、今事務所は暖房を入れてませんが、私はワイシャツの袖をまくって仕事をしています。

バスとお経

greenhouse2004-12-10

今日もバスでの出来事について書こうかと思います。私は毎朝決まったバスに乗ります。乗客も大体同じ顔ぶれです。その中に変わった中年の女性がいるのです。その女性は私と同じ停留所から乗ります。バスを待っている間、タバコを悠々とふかしています。背は150センチくらいでしょうか。顔は進化の過程で違う道をたどったオランウータンにそっくりです。下あごが発達し、唇は故いかりや長介に似ています。南方系の派手な色彩のゆったりとした服を着ています。まあこれだけでも十分怪しいのですが、バスの中での彼女の行動はもっと怪しいのです。

バスが来ると、自然にできた行列を無視し、われ先へと強引に乗り込みます。そして、ダッシュで空いてる席へと向かいます。まあここまではよくある話です。それから、夏であろうが冬であろうが、必ず上部の窓を開けるのです。夏は冷房が逃げ、冬は暖房が逃げます。バスの温度を人の欲する温度とは逆の方へと調整するのです。

極めつけは、バスに乗って10分くらいたった頃に発生するあるイベントです。彼女はいきなり低音のくぐもった声でお経を唱え始めるのです。隣に人がいようが、バスが信号待ちで停車して、アイドリングをやめるため、エンジンを切り、車内が居心地の悪い静寂に包まれても、それは続きます。「南無妙法連華経」まではわかるのですが、その後何を言ってるのかはわかりません。とにかく数珠を手にぶつぶつと一心不乱に唱え続けるのです。私はいつものことだと、気にしないのですが、初めてその現場に出くわした人は、驚きます。一斉に彼女のほうを見るのですが、彼女はいたって平気で、マイペースでお経をあげ続けるのです。私はバスの中で本を読んでいるので、最初はうるさいなと思っていました。だけど最近はこのおばさんのお経のおかげで無事バスが走っているのだと思い込むようにしました。

しかし何でバスの中で? 自宅ではできないのだろうか? この時間じゃないと駄目なのだろうか? イスラム教じゃあるまいし、そんなことはないと思うのですが。まあ色んな人がいるものです。

遅れすぎのバス

greenhouse2004-12-07

 リニューアルされたホームページはいかがですか?

前にも書いたことがあるかとは思いますが、私はバス通勤です。バスでどこかに通ったりするのは高校生以来です。今日は久しぶりに、バスについて書こうと思います。

 先日姪浜というところから帰宅するため、バスを待っていました。時刻は午後6時くらいです。時刻表を見ると、6時6分にバスが来ることになっていました。本数の少ない路線なので、ラッキーと思いながら、待っていたのです。しかしバスはその時刻を大幅に過ぎても来ません。もう一度時刻表を見ると、6時6分は「姪浜行き」とあります。ここは姪浜なんだけど……? 意味がわかりません。6時6分は違うのか? 私の乗りたいバスの時刻表は数列に分かれていて、天神方面行きと姪浜行きとに分かれていました。どっちでもいいんだろうと思っていた私は「姪浜行き」を見ていたのです。だって姪浜はここなんだから。よくわかりませんが、天神方面行きは6時30分となっています。それまでおとなしく待つことにしました。そして6時30分を5.6分過ぎた頃、お目当てのバスがやってきました。「ああ、やっぱり、姪浜行きじゃなく、天神行きに乗らないと駄目だったんだなと思いながら乗り込んだのです。(でも6時6分のバスは?)運転手のアナウンスが聞こえてきました。「本日は○○のため、バスが遅れましたことをお詫びします」

ああ5分くらいだからいいよ、と思っていたのですが、その次のセリフに私は度肝を抜かれました。

「ただいま50分の遅れで姪浜を出発しました」

50分……。なんだそれ? 台風でもないのに? ということは、このバスは本当は5時40分くらいに姪浜を出発しなければならないバスだったのか? だとしたら6時6分のバスは姪浜行きとか関係なく、ただ単に遅れすぎて、まだ来てないだけなのか? 始発と言ってもバスターミナルがあるわけでもないから、バスは折り返し運転なのです。当然、姪浜に向かうバスが遅れたら、姪浜を発車するバスも遅れるわけです。

隣にいた連れと、顔を見合わせ、あまりの遅れに笑ってしまいました。

長々と下らないことを書いてしまいました。12月からのシステム変更で、日記の字数制限が無くなったのです。以前は500字まででしたから、削るのが大変でした。駄文ですけど、これからもよろしくお願いします。字数制限がない分、推敲も疎かになると思いますので気づいた点がありましたら、連絡下さい。(1050字。前のシステムの倍です)

お久しぶりです。

greenhouse2004-11-25

久しぶりの更新です。言い訳になりますが、12月1日にホームページを大幅リニューアルします。トップページとシステムを大幅に変更します。今までより、使いやすくなると思います。また12月発売の新商品、キャンペーンと季節の移り変わりに伴う、企画が目白押しでして、そのページ作りにも追われている次第です。

眼圧が異常に上がっているような気がしてなりません。目が疲れます。やや気が狂いそうです。私なんかより数倍の時間パソコンに向かって作業している人たちがいるかと思うと、超人だなと思ってしまいますね。

これを見た人にだけ特別に、作業途中ですが、トップのイメージ画像を添付します。



それではまた。