忠臣蔵について。

greenhouse2004-12-14

今日は四十七士討ち入りの日、すなわち忠臣蔵の日です。赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の敵討ちを成し遂げたと言われる日ですね。当時の輿論のことなど後世に生きる私には想像もつきませんが、概ね赤穂浪士たちに同情的だったと言われています。日本人の心の奥底に流れている判官びいきがよくわかる例ですね。彼らは主君の仇討ちをし、切腹を仰せつかり、実行したからこそ、今に至るまで美談として引き継がれてきたのでしょう。だけど私は天邪鬼なのか、どうもそうは思わない。まず浅野内匠頭の愚かさに目が行ってしまいます。

彼は一国を司る藩主です。藩のことなど何も考えずに殿中にて吉良上野介に切りかかるという暴挙を犯しました。今で言えば、国会で嘲弄され、激怒し、相手に切りかかった上に議員バッジを剥奪され、刑務所送りになったようなものでしょうか。例えがおかしかったですね。とにかく私は単純に愚かな藩主だったとしか思えない。後先を考えずに行動した結果、藩は取り潰しとなり、赤穂浪士たちは、決起せさるを得なかったというのが真相でしょう。もちろん主君の仇討ちという側面もあったかと思います。二君にまみえずという武士道精神もあったでしょう。

この時期になりますと、テレビでは「忠臣蔵」が必ず放送されます。私も過去に映画を見たことはあると思いますが、乱発されている題材なので、誰が大石内蔵助を演じたのかも忘れていますし、ゴッチャになっています。

四十七士の討ち入りは、今で言えば、テロと同義だと思いませんか。吉良方は14人もの死者を出し、浪士たちは1人の死者も出していない。そして吉良の首を取ったのです。夜中にいきなり家を襲い、吉良上野介だけならともかく、関係ない人の命まで奪っている。
当時の世相はしかし、浪士支持が圧倒的で、そのまま今に至ってます。物事は違う側面から見れば、真実も変わってくるわけです。愚かな藩主とテロリズムに走った浪士たちという見方もできるわけです。

関係ありませんが、私は自分で見たものや、自分で確かめたものしか信じないようにしています。もちろん、見ることが不可能な事柄や、確かめようがないものもあります。基本的には、それらはそうなのかもしれないという認識しかしません。テレビや新聞もときには信用しないこともあります。辞書や辞典に書いてあることもおかしいと思ったら、信じません。(辞書だって結構間違いが多いのです)。

テレビは視聴者に受けようと、恣意的に題材を変えようとするし、新聞だってジャーナリズムを気取っていますが、所詮は商売です。新聞が真実を語る媒体なら、新聞によって記事の内容が異なるなんてことがあるわけないですからね。

こんなこと書いて赤穂浪士ファンに怒られるかもしれませんね。