西郷隆盛。

greenhouse2004-09-24

1877年(明治10年西郷隆盛が自刃しました。西南戦争で負傷し、官軍に勝つ見込みがなくなったからです。当時の明治政府は日本の近代化に躍起になっており、不平士族には厳しく対応していました。武士道という精神的な道のためなら命まで捨てていたサムライたちは、そのあまりもの変化についていけなかったのでしょうね。武士の特権はことごとく奪われます。明治維新を成し遂げた原動力となった薩長土肥、つまり藩閥中心の政府はやはりまだまだ未成熟で不自然だったのでしょう。もちろん大久保利通などは合理主義者でプラグマティストで、日本の官僚組織の基礎を築いた人ではあります。薩摩、西郷という旧態依然とした考え方ではなく、日本という国家としての見地から様々な判断を下したことは、これまた致し方ないことだとは思います。無血革命と言われた明治維新は、実は多くの血を流しているんですね。

私は鹿児島に住んでいたことがあります。鹿児島では西郷隆盛の人気に及ぶものは未だに誰一人としていません。圧倒的な人気です。

しかしこの士族の反乱はある意味では利己主義の発露とも言えますね。

今日は金曜日です。お疲れ様でした。