電車脱線事故

greenhouse2005-04-26

昨日、兵庫県尼崎市のJR福知山線で電車脱線事故が起こりました。死者73名という大惨事です。色々原因が取りざたされています。スピードの出しすぎによる脱線、置石による脱線、原因はどうであれ、死者は蘇ってはきません。事故直前伊丹駅で40メートルのオーバーランをし、1分半遅れたそうです。もしその1分半を取り戻そうとして、スピードを出しすぎ、脱線につながったとしたら? たった1分半のためにあんな大惨事が起きたのだとしたら? 

1分半数えてみたら、長い時間のような気もします。しかし何かに熱中していたり、または何もせずにただボーっとしていたりするだけで、1分半はあっという間に過ぎていきます。それだけの時間なのです。そんな短い時間が人間に何か影響を与えるとでも言うのでしょうか。是が非でも取り戻せねばならない時間なのでしょうか。死んだ人にとっての1分半は、彼らのこれからの長い人生と比べ、あまりにも短すぎる時間です。

私は最初この事故をニュースで聞いたとき、運転手は死んでいたほうがいいだろうと思いました。それは事故を起こした愚かさと憎しみからではありません。これから生きていくうえであまりにも辛い人生が待っているだろうと思ったからです。未だ彼の生存は確かではありません(26日17時現在)。

死んだほうがいいと思いはしましたが、よく考えてみると、事故の原因を語らせ、もし彼の人為的事故ならば、自分の犯した罪の大きさを知り、責任を取り続けなければならないという観点から、彼は生きていなければならないと思い直しました。彼が生きていてこそ、遺族は怒りをぶつける対象を見出すのです。

人の生き死にを私が口にする権利はもちろんありません。

冒頭でも言ったとおり、原因が何であれ、死者は生き返ってはこないのです。たった1分半の遅れのために、起きた事故だとしたら、死者や遺族はやりきれないでしょう。

この事故は原因が何であれ、人災です。原因を究明し、二度と同じような事故が起きないようにすることが、死んでしまった人たちに対して、生きている人間ができる唯一のことだと思います。